ねばならぬの呪詛

長年親子ともどもお世話になっているNPOがある。
最近では親のわたしは寄付会員、じゃなくてユーレイ会員になってしまい、企画イベントに参加しているのは子ども(社会人ですけど) のほう。

多摩ニュータウンのような寄せ集めのまちで、学校とか血縁とかでないつながりの集まりが細々であっても続いていることは、ほんとうにありがたいし、そこに根っ子をおろすことのできた息子が、正直うらやましい。

もちろん、わたし自身もここでつながった人々は、いつどこにいても大切な存在だし、ここにいたからこそ会えたみんなが好き。

そんなここの存在意義は、いつでもどこでもだれでも出入り自由な場だと思っている。子どもでも大人でも、ひとりでも親子でも、用があってもなくても。

もちろん、人と物とお金が関わっているから、責任と義務は発生する。でも、ここでいろいろ話をしていると、『こうせねばならぬ』『こうあらねばならぬ』ではなくて、『こうしたらどうだろう?』とか『こうだったらいいね、そのためには何が必要?』という言葉が飛び交っているのだ。

運営主体がなんでもかんでも決めて、『○○せねばならぬ!』と言ってしまうのは簡単だし、そのほうが会員も楽(笑)だろうし、期日までになにかをするのもスムーズかもしれない。
でも、ここはそうしない。
考える、話す、譲る、引き受ける、よりそう、そんなものが全部ある。

ねばならぬの縛りがないだけで、いきかた(生き方でもあり、行き方でもあり)の振れ幅は大きく広がると思う。


ここにいて、もう22年にもなるのか。
そりゃあ歳をとるわけで。
これ↓より歳上(笑)。



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