高尾山の続き

厄落としの効果というか、その後、というか、どうなるのかはさておき。
(まだ、なにも起きていません。)

巡礼とか参詣とかすると、私にとってはあたりまえですが、自分の中にすとんと落ちていくわけです。
そう、まさに自分の形の穴があって、そこに着地するとぴったり嵌まるような。
それで、しばらくの間、自分のことや周囲にいる人のことなどを考えています。

少し前に、ある人から、受け入れる、受け止める人、という評価をいただきました。
自分が思っている自分とは少し違っていたので、なぜそう言われたのか、しばし考え込みました。

うまく説明できそうなモデルを考えてみました。外界と私のコアな部分を繋ぐ、そこそこ太い管がある、と思ってください。
たぶん、入り口にはフィルターを装着していません。
でも、中まで進むとものすごく何重にも、目の粗さの違うフィルターがあり、それぞれのところで篩にかかってるわけです。
で、いちばん外に近いフィルターが、入り口から見えないところにあるんだな、きっと。

それでもこの数年、新たに知り合ったり、または年を経て再会したりした人たちは、その面倒なフィルターを易々と潜り抜けてきてくれたり、えーい面倒だから外しちゃえってなって後から装着したり(ごめん、中に閉じ込めてる(笑))してるような気がします。

そこらへんが、受け入れる、と見えたのかなぁ、とも思います。


人生折り返しを過ぎて、昔みたいにとんがって傲慢なまんまでは生きにくい、と思う反面、折り返したからこそ、また傲慢さもでてくるのかもしれません。

噂によれば、百歳まで生きるらしいので、ほんとにまだ折り返したばかりなんですよ。
(正直なところ、そんなに生きなくてもいいと思う。)
この先どうやって歩いていけばいいのか、時々こんなふうに自分を観察しながら時を重ねていきたいな、と思います。


高尾山からは、富士山ももちろん見えましたが、丹沢や秩父の山並もとてもきれいでした。
そして、なんと筑波山が見えていました。関東平野をはさんで向こうまで見通せるお天気に恵まれたのも、こんな思考がクリアにできる理由のひとつなのでしょう。

また時々登ろう。近いんだし。















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