自由の裏舞台

先日の旅日記をアップしたところ、古くからの知人(途中ブランクあり)からメールが来ました。

『なぜそんなに自由に出掛けられるの?』

これまた深いところに石を投げてきますね。
どう答えたかはおいといて。

自由とはどういうことか。をしみじみと考えてみました。

口では勝手気ままなあたし~と言ってはいますが、さまざまな立場で要求されている事柄に対しては、相手のニーズを満たす努力はしているし、その内容について承認を得ているものだと自負しています。
そのうえで、自分の時間を旅に振り向けることは、そんなに難しいことではありません。

もちろん、家族としては「またかよ、しょーがねーなー」と思っているでしょうが、止めたところでどうにもならないし、止めたことでストレス(あるのか?)の矛先を向けられては堪らない、というのが本音でしょうね。

私の、家族に対するスタンスも同じです。
子どもたちは、中学から電車通学だったこともあって門限を設けたことはありません。高校卒業以後は、無断でなければ外泊もしています。(終電がなくなって、離れた駅まで迎えに行ったことは何度かある…(笑))
夫の登山も、遭難歴や突然発作を起こす持病はあっても、止めたことはありません。車で行くので、週末の買い物に不便だなぁ、あたしだって乗りたいのに…というのはありますが、駄目と言ったところで隠れて嘘ついて出るだけですから、それならちゃんと入山届の控えを置いていってもらったほうが安心です。

見えない部分で、きちんとリスクを考慮してセーフティネットをはっていく、それが自由の裏表だと思うのです。

そして。
これは誰にもあてはまることではありませんが、お出かけできないと感じる理由はふたつあると思います。

ひとつめ。
自分は出かけてはいけない、出かけられる条件が揃っていない、という思い込み。

ふたつめ。
意識してなくても、自分が相手を縛っているために、自分も相手から縛られている場合。

わたしは早くにそれを手放しちゃった。
そのかわり、自律と自立を求められます。絶対にひとさまのせいにできない。

何かのせいにすることは、実は楽チンです。
たとえば。
自分を変える必要はないし、悪者は外にいるし、気の毒ねぇとやさしくしてくれる人もいる。

えらそうに書いてますが、こんなことをきちんと言語化できるようになったのは、そんなに大昔ではありません。
やっぱり人生長いことやってきたからこそなので、うーん、あたしも大人になったわね、と思うのです。

そんな大人は、まだ脳内で、関のお祭りの鈴鹿馬子唄をエンドレス再生しています。



石垣屋の浴衣美人衆。
夏は浴衣よね!

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