宮司の言葉

あたしは隠れきりしたんである。

なぜ隠れてるかというと、ちゃんと洗礼を受けたならば神社仏閣にお参りできないと聞いたからだ。
実はそんなこともないらしく、キリスト教の学校でも、京都や奈良に行くのだから、別にかまわないのだろう。
正しいところは、ちょっとおいといて。

なので、お寺できく法話とか、お社の神楽とか、大好物である。

今回は、昨年教えていただいたあめつちのセミナーに参加した。
8月11日のスーパームーン直後のこと。
いらしてくださった講師は、奈良県の丹生川上神社下社の皆見元久宮司。
誰も知らなかった小さな神社を、全国区の有名神社にした宮司さんらしい。

第一声。
言挙げせず。
日本古来の祀り事は、言葉にせずに伝え、感じとるところから始まった、と。

うーん。
それができたら理想だね。だけど、今は言った言わないで争いの起きる世の中。
それだけに言葉にするかしないか、そこで立ち止まって考えることも大切なのかも。

そして、丹生川上神社が三ヶ所にあることについて。
日本最古の、水の神様を祀る神社でありながら、所在がはっきりしなくなってしまい、近年相次いで「ここがそうらしい」というお社が三つも見つかってしまった。それで、白黒つけるのではなく、昔の日本のやりかたで全部白、とすることになったため、丹生川上神社は上社、中社、下社の三つのお社があるのだそうだ。

それも、現代の感覚ならば、えー?というところだが、お話を聞いてるうちに、なんかそれいいなーと思い始めていた。

白黒の決着を着けなきゃいけない場面もたくさんある。
だけど、そこまできっちりせんでもまあまあうまいことやっていけるんちゃうん?と感じる場面は、この世の中にたくさんある。
あたしは、その曖昧な流れの中に身を任せて生きていってもいいなぁ、と思うのだ。

宮司さんは最近本を出された。ふだんお話していることをまとめたものだ。
タイトルは『心の荷物をおろす場所』
あ。
それ、あたしが、札所巡ったり、神社行ったりするときにいつもしてることだ。

これだけ世知辛い浮世にいると、心の中に必要不要に関わらず、澱がたまってくるのは避けられない。
そんなとき、神様とか仏様とか、高次の存在におすがりして、よじれてしまった糸を解きほぐす時間が、とてもいとおしく感じられる。
程度の差こそあれ、誰もがそんな気持ちになることはあるんじゃないのかしら。
あたしにとってはそれが、ご朱印いただきにいく時間だったり、職人の技に触れる時間だったりするわけで。

そんなこんなことを思いながら、宮司さんのお話をきいていたら、自分ではどうにもできなかったササクレが、いつのまにかなでつけられてるのを感じた。
ああ、言葉にせずに伝えてくださってるもの、あたしは受け取れたんだなって思った。

丹生川上神社下社。
山奥の小さなお社を来年訪ねようと思う。
もちろん、上社も、中社も。
緑深い山の景色が目に浮かぶ。



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