8月も終わり。

1年のうち、3分の2が終わってしまうのか。
歳をとれば1年が早い、とよく言いますが、この10年くらいは早いなんてものじゃない、え?いつ1年終わった?てな勢いで時計が回っています。

ばたばたと忙しいからってわけではなく、ぼーっとしていても早いのです。
それはきっと、残り時間のほうがすくなくなってるからだろうなぁと思います。

(でも、とある方に四柱推命でみてもらったら、100歳余裕と言われた。だったら、まだ半分過ぎたばっかりだけど。)

少し前に、人生の大どんでん返しみたいなことがあって、自分の思い描いていた将来設計がちゃらになりました。
もしその設計どおりに私がちゃんと事を運んでいたら、こうしてこんなブログは書いていないと思います。
そのとき思ったのは、設計図なんて書いたら虚しい、でした。

今はどうかというと。
設計図なんて書いたら、予定調和なことしか起きなくておもろないわ~、と思っています。
確かにその前から、パラダイムシフトなのか、と思うことは少しずつ起きていて、あらためて考えると、枷をはずしなさいというお告げみたいなものだったのかなぁ、とも思います。

もともと、あまり枷とか規範とか重要視していない部類に入ると思っていますが、それまで以上にどっぱずれたかもしれない、ここ最近。
だけど、それで後悔しなけりゃいけないようなことは何も起きていないし、多少のつまずきはあるけど、いつも起き上がって歩いていける余力は残してる。

だいじょうぶじゃん、あたし!
心配ないよ、あたし!

わざわざこんなこと口にする必要もないほど、日々、いろんなことに驚き、喜び、泣き、笑う。
そんな毎日がいとおしいなぁ、と感じる残暑の朝。




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どの栄養素が不足なの?

わたしのかたちをつくるもの

毎日必要なもの→活字と音楽
頻繁に必要なもの→きもの
ときどき必要なもの→生演奏
たまに必要なもの→旅

ないはずがないもの、がいまここにない

小雨降るキャンドルナイト

昨晩は、8月最終土曜恒例の、保土ヶ谷キャンドルナイトでした。



朝から横浜は豪雨と聞き、開催されるのか危ぶんでいました。
が、主催である野庵の庵主、毬詠さんは2年ぶりの現地入りで超気合い入ってるとのことでしたので、きっと雨はやむ、やまないまでも中止になるほどの降りにはならないだろうと勝手に決めて、向かいました。

途中、横浜駅に寄って、深堀金魚を。



こちらは、今回展示のオープニングイベントで行われたライブペインティング作品です。

スカイビルにちなんでの背景青空かな。
いままで見たことのない色で、見に来てよかったなぁと、しばし眺めておりました。

夏前の渋谷展示にも行ったので、パスもありでしたが、これが見たかったのと、先日花火現場で深堀手拭いを落っことしてきたので、替わりが欲しくて。


保土ヶ谷公園の最寄り駅で友人しまちゃんと合流し、会場に着くと、ちょうどスタッフ集合して開催の記念撮影をしているところでした。
毬詠さんの元気な姿にもお会いできて!

まずは、ワークショップでも楽しもうよと、はとさんのブースへ。
しまちゃんは缶バッチ製作、私は狐面絵付け。
で、これ。



完成後のお約束。



その後も、飲んだり食べたり食べたりしながら、もうひとり、あきよさんの合流を待ち、そして、ステージへ。
今年のステージは、ことちゃんの篠笛・神楽笛です。
脇からの写真ですが、ことちゃんの音色が届くといいなぁ。



傘を差して会場内を歩きます。
今までも小雨のことはあったけれど、傘なしでもなんとかなりました。
でも、雨のなかのキャンドルも、なかなか風情があります。
多少の風雨では火が消えないように工夫された装置、最大限に威力を発揮してくれました。

あのね。
全部、ろうそくだからね。
LEDじゃないです。



こちらは電飾ですが、柔らかくて、ろうそくと喧嘩しません。



原色ギロギロのネオンサインも心躍るけれど、ひそやかな力をたくわえたろうそくの灯りは、心鎮めて、明日への想いを新たにさせてくれる気がします。


目覚めたらすっかり秋の気配で、雨と灯りが、夏の暑さを連れ去ったのかと思いました。


目標を定めて突き進むことの危うさ

設定した目標とかゴールがあって、
達成するために勉強したり練習したり、
積み重ねていくことはとても素晴らしいこと。

でも、そうでないこと、そうできないこともある。

そのときに、どう、折り合いをつけるのか。
あるいは、そこから立ち去るのか。

そうして壊れてしまった自分を発見した自分がどうなるのか。


ずっとそんなことを考えている、深い深い深い底の海。



やまゆり園の事件から1ヶ月。





ごはん作り珍説

どかーん。自作ごはんを自慢げに載せるあほでーす。



昨晩のメインです。

朝から一人晩ごはん、とわかっていたので、ふだん食卓にのせられないエビとかカニが食べたい妄想で、脳内が満たされておりました。
エビカニを美味しくいただくと言えば、やっぱり中華料理。でも、中華料理の外食ほど、一人で食べてわびしいものはありません。(当社比)
なぜかといえば、やはり多品種少量シェアが中華の醍醐味だと思うから。

じゃあさー、ちょうど足がつったりしてなんか不足のミネラルもあるみたいだし、呆れるくらいエビ使ってなんか作ればいいじゃん?

という自問自答の結果です。

冷凍むきエビのくせにでっかいし、プリプリです。はりこんだ甲斐がありました。

自作のいいところは、自分ちにある調味料で作るから、好みの味になること。
塩だって醤油だって、お品が違えば味も違います。
今使ってる塩は、沖縄のものなので、たぶん夏の料理に合ってると思います。
カシューナッツも、お店だとこの分量で4人前くらい作るんじゃないかなあ、と思われる量をぶちこみました。
まあ、そのせいで、エビ食べたかったのかナッツ食べたかったのか、よくわからなくなりましたが…。

家族があまり家で晩ごはんを食べなくなり、作っても残ったり、一人分めんどくさーとなったりで、調理がつまんなかったのですが、先日桃づくしをいただいたときに、やっぱりお料理は楽しまなくちゃなぁと感じました。
食べたいものを作ると、材料選びからわくわくします。


で、何が珍説かというと。
女性が長生きなのは、知らず知らずのうちに、自分に必要なものを絶妙のタイミングで作って食べる機会が多いから。
もちろん、男性もそういう人はたくさんいるはずです。
ここらへんまでの統計で女性のほうが長命なのは、ご飯作りを担っていた人が多いことによるのではないかと。

なので、これから先、平均余命の男女差が縮まっていく傾向が出てくれば、この珍説を補完してもらえるかなー。


季節のかわり目

朝からじりじりと照りつける陽射し。
日傘を持って出る木曜日の朝です。

日中は暑い、んでしょうね。
空調の効いた高層ビルの中にいると、外の温度はまったくわかりません。
お昼を食べに外に出ればいいのでしょうが、それが面倒で、自前弁当(中身杜撰で見せられません。)の日々。
ブラインドを下ろしてあるので、雨が降ったことすらも気づかない。
そんなんでいいのかなぁ、と思います。

せめて朝夕の通勤路、外の景色や温度を感じておこうと目をこらすと。
かすかに、夏の終わりを感じ取れます。
どこがどうってんじゃない。

たとえば、雲の厚みとか、道行く自分の影の濃さとか、草っ葉のしおたれ具合とか。

そしてなによりも。
日が落ちてからの虫が、じゃーじゃーとやかましい蝉よりも、りりころりりころと控えめな蟋蟀たちに変わってきたこと。
こんなに気温が高くても、君たちの体内暦では秋の気配なんだねぇ。

昨晩も、台風対策したベランダの現状回復をしながら、蟋蟀のコーラスを楽しみました。


忘れちゃいけない。秋の気配。
明け方に足がつる。
朝の気温が下がってる証拠です…
今朝は、今夏初の腓返りでした。

まだ痛い。

みんな、たたかってるんだねぇ。

こむらがえりまとめ(笑)

五感で味わう

昨晩は、国立(クニタチ)繋がりの千賀さん主催、桃づくしのイタリアンお食事会に行ってきました。

まずは、こちらを召し上がれ!



桃の黄色とトマトの赤が夏の食卓を飾ります。

桃は、長野から届いた千賀さん厳選のお品。つやつやとした存在感がたまりません。
トマトは、千賀さんが育てた当日とれたてのフレッシュなもの。オーブンで軽く焼いて味をギュッと凝縮させてあるそうです。
パスタは昆布練り込み(あちらではやってるんだって。)で、これらをまとめる魚醤はアンチョビ。海の味わいがあります。

桃は、ふだん私たちが気軽に買える白桃ではなく、黄桃です。
店頭にある黄色い桃は、黄金桃で、大きくて甘みが強いもの。
お料理には、原種に近い小ぶりのちょっと固めのものが合うのだそうです。
今回届いた桃は、樹上でかなり熟していて甘くなっているため、ハーブを組み合わせて調理してくださいました。




ベースのお料理は、サラダ、モッツァレラ、パスタまたはフォカッチャ、デザート。
これに、オプションで頼めるお魚とお肉があります。
仲良しの職場同僚と二人参加のメリットを最大限に生かす、シェア大作戦全品完食コースで参戦しました。
どれもこれも桃なくしてはなりたたない美味しさでした。


国立のみなさんとの繋がりで、わたしの暮らしは衣食住すべてが充実してきました。
衣→染めの先生、布との出会い、好みのお店を教えてもらう、などなど。
食→ロシャンさんのカレー、千賀さんのイタリアン、チーズ、おいしいカフェ、などなど。
住→瞑想会、オルゴナイトでの浄化、暮らしの知恵、などなど。


長生きしよう。
楽しいこといっぱいだもの。



虫愛ずる姫

子どもの頃から、虫が好きです。
夏になれば林にわけ入って、クワガタやらカブトムシやら捕まえて飼育かごにお入りいただいてました。
蝉なんて樹にとまってたら手掴みです。
カマキリはたまごを孵したりして、親にカミナリおとされたことも。

みなさんが忌み嫌うアイツも、ことさら好きではありませんが、退治するのはおちゃのこさいさいです。(武器はスリッパがベスト)

このまちに住み着いた頃はもう少し昆虫を見ていたと思うのですが、ここ数年減ったな、と感じています。
我が子がすっかり成長して、外歩きをしなくなったためかもしれません。

ですが。

今朝、最寄り駅まで歩く十数分の間に、トンボ、それも比較的大きいもの、ギンヤンマ?みたいなのを見ました。
それから、アゲハ、いちばんよく見る黄色い筋のものとアオスジと黒の揃い踏み。
1キロもないわずかな距離で合計で10匹をこえました。(あ、蝶は匹じゃないね。そこは合計なので、ご勘弁ください。)
何千回もこの道を歩いているのに、こんなことは初めてです。

台風のあとだからなのかしらん。
いやいや、そんなことは今までもあったよ。
隣山を開発したときにタヌキがこっちに逃げてきたことはあるけれど、そのときも虫は増えなかったし。

トンボが1匹、歩いてるわたしの胸にぶつかって、そのまましばらくとまっていました。
けっして、ブラウスの織り目にひっかかったわけではありません。
歩みをとめなかったのに、飛び立つこともなく、おとなしくとまってるトンボと一緒に駅までの道を。
保育園の前にさしかかったとき、すうっと離れていきました。ここに遊びに来たかったのかな?

多摩ニューに住み着いて間もなく30年経ちます。
昔の面影はずいぶんなくなったけれど、まだまだ自然の豊かなところ。
いつまでこれが続くのか。できるだけ長くと願わずにいられません。


ところで。
蝶と蜻蛉ですか。
気になってる浴衣の反物がその柄なんですけど。
逃すなってことかしら。(違

虫愛ずる姫君のお話。
これ、大好きです。ちょっと長いけどね。

虫愛ずる姫君

花火

花火にはたくさんの思い出がある。

いたばしの花火が、わたしの土手デビュー。
高校の仲間と毎年見に行った。
ある年、線香花火を持ってきた先輩がいて、尺玉との落差を楽しんだっけ。
その先輩も若くして鬼籍に入り、もう10年以上たつ。

そのあとは、調布の花火。
大学は調布だったけど、見に行ったのは学校の仲間じゃなかったな。
そのときの人たちとは、連絡がとれなくなっている。

多摩市に住み着いてからは、聖蹟桜ヶ丘。これは家から歩いて見に行けるので、家族と何度も行ったなぁ。
いろいろあって、なくなってしまったのがとても残念。

間で、隅田川だの立川だの相模川だの、旅先でも見たし、俗なところでディズニーランドやよみうりランドなんてのもある。

わたし、ずいぶん花火好きなんだな…。
なぜなのかを昨日、花火見ながら考えた。
そして、わかったこと。
御霊さまたちへ、今のわたしを見てね、という手紙のようなものなんだ。

灯りとか、花火とか。
ゆらぐ明るさの中で、フラッシュたいたりしないで。
わたしの姿をぼんやりと届けてください、と願いながら。

基盤の宗教を持たないので、お盆が習慣でないけれど、みなさんがお迎えしたりお見送りしたりする夏の時期に、向こうとこっちを結ぶ通路はできている。
わたしはその通路を、花火でつなぐんだな、と思った。

今生をわたしはせいいっぱい生きてるよ。
あなたのぶんまで、とは言わない。
わたしにはわたしの分しか持てないから。
でも、ちゃぁんと覚えているよ。
誰のことも。







人生はヒッチハイク

ヒッチハイクしたことありますか?

このご時世なので、道端で
てわけにはいきませんが。
たとえば、目の前に乗る予定じゃなかった乗り物が来て
『早よ、乗りぃや』
と誘われたら。
あなたはどうしますか?

わたしはね。
五感をフル回転させて、最後は第六感。
ピッとアンテナが反応したら、乗せてもらいます。

昨日の夜のお話会はまさにそれだった。

開催告知に、毎日が楽しい人は来る必要がないよ~と書かれていました。
毎日楽しいよ。いやなことがないわけじゃないけれど、それを上回ることが降ってきて、ハートフルワールドを生きてるなって思えてる。
でも、行こうよ、って耳元でささやく声が聞こえたので、時おりぱらつく小雨の中、蜜月@下北沢に向かいました。

数年前から、心にいつも置いていること。
なるべく、『あのとき、そうしておけばよかったのに。』と思わないような生き方をしよう、ということ。
それは歳をとったせいでもあるだろうし、命が終わるという形を見せられたせいでもあるだろうし、子育てをほぼ終えて責務のようなものがなくなったせいもあるだろうし。

いや、いままでも、それほど我慢や犠牲の生き方をしてるわけではなく、むしろ端から見たら、自由奔放無責任主義あっけらかん、としか見えていないかもしれません。
(自分なりに制限はかけていたりするのですが…)

元に戻って。
行けばよかったな~と思わないで、行けるんなら行こうよ!
これに尽きます。

ちなみに今回のネタはこんな話でした。
この例えを持ち出したのは、主催じゃなくてわたしでしたが。

ニュートンのゆりかご



ニュートンのゆりかご

そんなオサレな名前だったのか。カチカチ、としか覚えてなかった。(笑)




そして、そんなイベントや旅や出会いが、わたしの目の前につぎつぎやってくる乗り物。

いまは乗らないよ、となるときもあるし、迷って迷って乗ることもあるし、自分で乗り物作ろうとすることもあるし(←いまここ。)。

ずっとひとつのおなじ乗り物じゃなくて、乗り換えながら前に進んでいく。
それは、むかーしやってた行き当たりばっ旅みたいなかんじです。

まだまだ、わたしのヒッチハイクは止まらない。

ひとりじゃ…と二の足踏んでるかた、わたしでよかったらナビゲートします。
一緒に遊ぶとこから。


殺伐

今年は例年よりも蝉が少な目のこの丘。

昨年は、階段室に蝉が飛び込んで大騒ぎだった。イマドキの蝉は24時間鳴きっぱなしなので、階段室の蝉は朝になって気絶して『蝉爆弾』化する。

今年、階段室に入ってきて鳴く蝉は少ない。
でも、朝、出勤するときに踏み潰されている蝉は、例年よりも多い。
階段の住人は入れ替わっていない。

誰なの踏み潰す人。

蝉だけではない。
小さい緑の甲虫。ちょっと綺麗な模様の蛾。
踏み潰され率高すぎる。
夜、帰宅してからそうっと掃き清めることもある。

こんなこといままでなかったのにな。

なんだか、余裕のない人が増えてるなって感じる。

ふうっ。
立ち止まって深呼吸しよう。
自分を見失わないように。

夏空

台風が遠ざかりつつある朝の空。



天気図を見ながら、偏西風はどこいった?このルート、やばくない?と思いつつ、ネットでニュースを追いかける。

小さい国だけど、少し離れれば風土も違い、言葉も違う。

目の前のことだけを追いかけている日常から、少し離れたいな。
青い空を追いかけて、上向いて歩きたいな。
目の中にレンズができたら、雲も大きく見えるかもしれない。

8月15日

両親は、その日はまだこどもだった。
祖父母はすでに亡く、そのきょうだいもほとんどが鬼籍。
戦争を大人として経験したひとは、もう身近にはいなくなってしまった。
語り継ぐ者がいなくなると、想像の中の戦は、実感を伴わなくなるのだろうか。


わたしの祖母たちは、偶然にもふたりとも看護婦だったようだ。
ひとりは本人からその話を聞いている。
わたしがはっきりとおぼえていないだけで、疎開のことやそこで看護婦としてかりだされたことを聞いた記憶はかすかにある。

祖母は言っていた。
戦は、人を変える、と。

血を流さないために。
何をどうすればいいか。
人任せで生きるのをやめることから始めてみよう。

間もなく日付がかわる。

夢を叶えるのは

やっぱり、口に出して、そして行動すればいいんだね。

苦節ン年!←使い方間違ってます。

妄想ン年!←それなら合ってます。

そして、気学でいうところの吉方位に重なる今年。
いや、実は3年前からそうだったんだけど、近いところへの方位採りでお茶を濁しておりました。
今年が終わると、このさき6年待たなければならないのです。

この8月は、なんでも大きいゲートが開く時だとも聞きました。
そんなことと知らずに先月、妄想実現可能かどうか、お手紙をしたためてお送りしたのでした。
そして、携帯出損なって遅れること2日、吉報は昨日、家の電話にやってきました!


あとは、いつ行くか、どうやって行くか。
それを決めるだけです。
意外と忙しいんだけど、絶対逃すな!これ、最大にして最高のご褒美みたいなものだから。


今年の1月に、スリランカのお坊さんにミサンガを結んでいただきました。
(正しくはミサンガって言わないんだろうけど、似たようなものなので、そう書きます。)
白と赤と青の糸を撚り合わせて、途中を三つ編みのように編み込んであります。
その、編んでないところの糸が、先月何本か切れました。




まだ全部切れるほど弱っていませんが、こうしてひとつずつ願いがかなっていくのかもしれない。
あのとき、上座部仏教のお坊さんに会えたのも、ものすごい偶然が重なってのことだったのです。


形になったらあらためてご報告しますね。
なんだか、全部バラすと逃げていきそうなきがして…。
オクビョウなの。


歌は心の泉

昨晩は新宿へシャンソンを聴きに行きました。



シャンパーニュという老舗のシャンソニエは、小ぢんまりとしていて、ステージと客席がとても近いお店です。
すぐそこで、息づかいさえも見えるような場所で歌われると、その歌声は耳からだけでなく、皮膚の表面からも浸透してくるような感触です。

こちらに伺うようになったのは、Facebookで着物を通じてお友だちになったかたが歌うたいさんで、お誘いをいただいたことが始まりでした。

おいかわ由衣さん。
とてもチャーミングで、濃い情念を歌い上げてくれます。




どのジャンルも深く極めてないけど浅くさらえているので、シャンソンもそこそこいろんな曲を聴いたことがあります。
自分のオリジナルな持ち歌ではない曲を歌う、それは、深いところからわき上がる個性の賜物。
昨晩は三人娘ライブで、それぞれ独自の世界を持つ歌手のみなさんでしたので、とても楽しくバラエティ豊かなステージでした。
以前聴いた歌を別のかたが歌うとこんなに違うのね、と思ったり、うわーこんな素敵な歌が!と涙したり。

そう、どんな歌も、メロディーだけではなく、美しい詞があっての完成形。

以前どこかで読んだことがあります。
日本語は欧米の言葉と比較すると、表現に要する音節が多くなる、と。
それで、海外の歌を訳詞するとき、削ぎ落とさねばならない単語が多くなりがちだということでした。
確かに、I love you. なら3音だけど、アイシテルは5音だものね。どっこいなのは、Come here! と、コイ!くらい?

そんな制限にもめげず、シャンソンの訳詞は、とても美しい世界が広がっています。
このシャンパーニュをつくった矢田部道一さんはたくさんの歌を訳されていて、どれも綺麗な日本語の連なりです。
聴いていると、その景色が目の前に広がったり、涙があふれたり、心の深いところを修復される気がします。

好きな歌や好きな歌い手さんが増えていくのが楽しみ。
毎回違うのがステージだから。



そして、秘かに思う野望、歌のおけいこがしてみたい。
ピアノで手一杯なのに、三味線やりたかったり、歌ってみたかったり…。
ヨクフカ、止まらない(笑)。




昇華できない想い

迎え火を焚く日ですね。
実家が仏教徒でなく、お仏壇のある暮らしをしたことのないわたしには、盆は身近なものではありません。
しかしながら、やはり御霊さまがお戻りになりやすい時期であることは感じとれますし、自分のところにも縁のあるかたがたはなにかしら足跡を残していってくださるのがわかります。

先月末、オルゴナイトを作りました。



それを受け取ってきた日は月例の瞑想会で、終了後にひいたカードはこれでした。OSHOカードのGUILT。





今まで何度もカードひいていますが、あまり悪い名称のものをひいたことはなかったので、あれ?と思いました。
が、解説を読むと、罪悪感にとらわれることはない、そんなものに縛られていては自分を生きられない、という意味のようです。

ひと、なので、全くの清廉潔白ではありません。むしろ、どろどろと暗い情念をかかえて生きているタイプです。
情念にとらわれていること自体に罪悪感を覚えることもありますし、行動の裏にある打算には罪悪感がつきまといます。

OSHOは、そこを衝いてきたわけです。
いつもなら、瞑想のなかでなんらかのメッセージを送ってくる存在があるのですが、今回はそれがなく、あれ?と思っていたら、カードで出てきたのですね。

どうしても離れない想いがあり、手放したつもりだったのに手放せないことがわかって悶えていたけれど、いいんだ、これはもう死ぬまであたしと一体なんだ、と悟りました。
それもこれもひっくるめてあたしなんだ、と。
罪のように考える必要もなく。

昇華できずにずっと持っていてもいい、なくそうとしなくていい。





それでいい?

心は穏やかで、波ひとつありません。
どうやらそれが今朝の解、のようです。







記録(8/10)

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耳をすませば

病院にいると必ず思い出すことがあって、そのことを書いてみます。
病気や怪我の話ではないので、安心してください。

病院、という単語をひらがなで書くと『びょういん』です。
たいていのかたが、その文字通りに発音しています。
少数ですが、『びよいん』と発音するかたがいらっしゃいます。
ついでに、美容院は、ほぼすべてのかたが『びよういん』と発音してるようですね。

初めてこれを知ったのは学生のときの英語の授業でした。
以後、ずっと記憶に残っています。
定期的に通院に付き添うようになってからは、毎月この記憶がよみがえるので、ちょっと検索をしてみました。

すると。
こんな記事をみつけました。

拾い物

母語にない音は、発音できない。
 とか
ドイツの人は、びょういんとびよういんが聞き分けられない
 とか

ほーそうなんだ!とびっくりです。

さらに調子にのって探してみると。
これ、とっても面白い。

拾い物その2

人前で歌うことはほとんどありませんが、なるほどーとうなずけるとこもあるので、車の中で大声でやってみよう。←交差点で止まったら黙らないと、変な人。

そして、なんとなく思い至ったのは、アクセントとか方言のことを調べるのが、めっぽう好きな自分。
なぜかな、と考えると、東西またいで育ったからかな、と思います。
ほんのわずか地域が変わったら、車内のおしゃべりががらりとイントネーションを変えたり、話すスピードが変わったりするのを感じとるのは、旅の楽しみでもあったりします。

病院の待合室。
お話をしている人も少ないので、なかなか具体的な例には出会えませんが、さまざまな地方の出身者が住むニュータウンならではの現象は聞こえます。

東京ってほんとうに全国から人が集まってるんだね。

長い待ち時間(予約してあってもなかなかぴったりには呼ばれない)を、こんなことを考えながら過ごしています。



浴衣から始めよう!

土曜日は、東京大学というところ(笑)に行ってまいりました。
そう、入るだけなら誰でも入れる。入学するのは日本でいちばん難しい大学ですね。

そこでなんと、『浴衣DEビヤガーデン』なる催しがありまして。

あまた?持ってる浴衣の中から、最新作の自分染めを着て出動しました。



暑くて暑くてダレてるのは見逃してください。
浴衣でなかったら外を歩くなんてあり得ない暑さだったのだもの。

自分で染められるのは、こちら、結城の奥順さんです。

滝糸絞りの浴衣染め体験

奥順さんの夏行事に里帰りさせたかったのですが、都合が合わなかったので、今季初の浴衣縛りイベントでデビューさせました。

『浴衣DEビヤガーデン』は一昨年に続き2回目の参加です。とても気さくな幹事団の皆様が魅力的なのと、参加なさる方々の素敵な着こなしが楽しみなイベントです。

こちらは幹事団の皆様、昨年の着こなし。



今年は浴衣のかただけでなく、夏着物でお見えのかたもたくさんいらして、とても華やかでした。
来年は私も麻の着物で行こうかなぁ…。
(ごぞんじのかたはごぞんじですね、ええ、あれです(笑))


今日、ちょっとしたお勉強会の帰り道、若いお友だちとおしゃべりしてたところ、昨日花火を浴衣で見に行ってきたとお話ししてくれました。
浴衣ならなんとか着られるかなーっておっしゃるので、浴衣が着られるなら、もう少し練習したら着物いけるわよ、とお伝えしちゃった。
とても意外そうにしてたので、形はおんなじよ~、と。
そしたら、とても嬉しそうに、「着物チャレンジしてみたいです!」って!
こちらも嬉しくなりました。

まずは浴衣を纏ってお出かけしてみることで、和服の形になじんでもらえたらいいなぁ、と思います。
多少のTPOずれや、履き物チェンジは、もう気にすることないです。
浴衣お持ちのかた、ぜひ、風をとおしてあげてください。
そして、しばらく見てなかった自分に、鏡のなかで会ってみて。きっと素敵な笑顔に会えるはず。

自信なかったら?
私を呼んで!
なんちゃって着付けでよかったら、お教えします~。
この夏は、ワードローブに浴衣を追加してくださいね。



せみまみれ

緑濃いまちだけに、夏の音はとにかく蝉の鳴く声ですべてがかき消されます。

はじめのうちはいちばん多くてうるさい、アブラゼミ。
あんまりいすぎて、写真撮る気もないです。
フォトジェニックじゃないしねぇ。
自宅から最寄り駅へ歩く道すがらだと、手づかみできるようなところにわんさかいます。

手づかみ?できるよ。うん。

いろんなところで羽化してます。







こんなとこでまで…。



あとちょっとがんばれば、植木につかまれたのに、力尽きたか!

そんな中、今季初めて、アブラゼミじゃない子を撮影できました。
これ、なんだろう?
ツクツクボーシにしては大振りです。
ミンミンゼミ?鳴いてないからわからない。



むんずとつかみたくなるのを抑えて、先を急ぎました。


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Author:たまねぎ
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