夏の風物詩~Li-Poで花火

カテゴリ違い、ではありません。
まさに腹満たされた花火の夜。

昨年に引き続き、渋谷の小ぢんまりとしたBarで、花火パブリックビューイングです。
お料理も昨夏と同じく、さすらいの料理人、研さんの美味しい酒肴です。
そして、集まるかたがたの、さまざまな浴衣姿。
これだけ揃って、楽しくないわけがない!



バイキング形式でひととおり盛ってきました。
盛りつけをお洒落に、などと考える暇もなく、これだけ食べたい!って取り分けても、色彩が美しいのでなんとなく絵になっています。
今回は極上の鱧がありまして、さらに目とお腹が満たされました。

花火ビューイングは、中継番組を壁面に映してるだけではあるのですが、みんなでいろいろ品評しながら見てるのはとても楽しいです。
そして、いろんな話題でのおしゃべりも肴のひとつ。花火や浴衣の柄をネタに話もがんがん弾みます。

そんな私の装いは。



お父さんとお母さんに挟まれた子どもみたいなまん中です(笑)。

浴衣は、結城に通いつめるきっかけになった、最初の自分染めです。
帯は写ってないので柄のみアップします。



オールドコネクタ柄。わかる人にはわかる。
昨晩も「さしたい!」と嬉しいお言葉をちょうだいしました。


現地でない花火で欠けているものがあるとしたら、それは、終わったあとの空を見上げたときの儚さ、かもしれません。
急に空が暗くなり、ほの白い煙が流れていくさまは、寂しいような小さな達成感のような、いろんなものを内包していると思います。

今年もそれは、おうちからいちばん近い調布の花火で満喫しようかな。

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梅雨明けたら真夏の太陽

昨晩、肌寒い気がして、布団を足元に置いて就寝しました。
案の定、途中目が覚めた2時頃、知らぬ間にお布団着てました。

なのに!
4時半頃、暑くて目が覚めた!
いきなりこれかい、ってくらい、外は明るくて陽射しが強くて、昨日までのどよんとした空はなんだったんだろう。

昨夕、自宅近くでバスを降りたら、空がこんなことになってました。



旅友さんが、「梅雨をのっけて飛んでった~」とコメントをくれました。
ほんと、ピンクドラゴン、梅雨をはるかかなたへ運び去って、変わりに真夏を連れてきたようです。

日が経つほど苦しい

津久井でむごい事件が起きて、2日。
何度もとおってよく知っている地域だし、カテゴリ違いとはいえ福祉職に就く家族、施設にお世話になっている身内がいる者として、とても動揺しています。

そう、怖いとか気の毒とかじゃない。
ものすごく、混乱しています。
弱い立場にある人の生存権、人格、そういったものを根底から揺さぶる事件だと思うのです。

生きる、ってなんでしょうね。








昨日、お世話になってるセラピストさんが書いてました。
幸せはなるもんじゃなくて、感じるもんだ、と。



幸せを感じるために、今の立ち位置を少し離れてみるのも悪くない、と思います。
里山でのんびり、とか、日がないちんち潮騒をきく、とか。
贅沢な時間が欲しいな。





明けない梅雨明けない夜開かない蓋

関東はまだ梅雨が明けません。
涼しくて楽、といえばそのとおりですが、後のことがいろいろ心配です。
農作物のことや、夏物商戦のことや、ベランダ菜園の育ちやら。

そして、陽光が足りないせいか、体内時計も少し狂っているようです。
朝、目覚まし鳴る前に目が覚める、ここまではいい。
寝床の中で顔ツボ押してるうちに体も目覚めて、流れがよくなる!のが今までだったのに、体がちっとも目覚めない。
無理やり起こして動くから、思いがけないところにぶつかったりして、知らん間に青たんできてたりします。
かっこわる。

そんなふうにおしこめられた気分のときは、自分の殻に閉じこもり、分厚い蓋を中から作っています。
あんまり居心地よくすると、出てこられなくなるから、ほどほどにしておかなかれば。




少しずつ実が生って、色づいてきた。
道すがらの花、夏本番を前にとまどっているような。

流されないで流れる

小学校が夏休みに入ったとたん、涼しいってどういうことだろう?
気候だけじゃない、身の回り、なんだかおかしいことだらけ。

頭で考えてることと、胸の奥で感じてることが、どうしても一致しない、そんな冷夏。

そういえば、今年は猛暑の予報が出てなかったっけ?


溢れる情報と、自分のアンテナがキャッチしたことをどうリンクさせていくか。
結果、自分はどっちを向いて歩いていくのか。
今さらながら、そのことの難しさに直面しています。

ひとつだけ心がけていることがあって、なるべく流されないでいること。
流れに逆らわないことも大切なんだけど、なんにも決めないで流されてるのと、自分で決めてそっちに流れていくのとでは、行きつく先がぜんぜん違うはず。

今朝もひとつ、流れる向きを選択しました。


あんまり流れる流れる書いていたら、脳内がこれになりました。

どこでも流し素麺


じゃなくて!!!





冷たいそうめん、食べたいなぁ。



週末は着物

土日、浴衣の着方をお教えしたり、展示会に行ったり、着物のそばにいる週末でした。

前の週も浴衣着てたけど、お祭りだからだもんね。意識して着てたわけではないので。

というと、昨日一昨日は意識してんのか、と突っ込まれそうですが、よーく考えてみるとそうではないなぁと思います。

昨日ご一緒したかたとお話ししていて、平日着られないから週末は着るのです、と言ったら、どこに?って。
やっぱり、着物でのお出かけを特別に思うかたはまだまだたくさん。
いつでもどこでも、と思っている私ですら、自分の会社でないから平日は無理、と言ってる時点であかん気はしますが…(笑)←でも、仕事なくなると死活問題なのでやっぱり勇気ない。

着物は特別じゃなくて、今日は何を着ようかな?って考えるときに、ワンピにしようか軽めのスーツにしようかデニムにしようか着物にしようか、くらいの位置づけになったら嬉しいなぁと思いながら、なんちゃって着付け教室を細々とやっとります。

そんな私の着物嗜好は、一言ではあらわしにくいですが、柔らかものは柄がたくさんの小紋が好きで、ふだんの紬や木綿はシンプル(シンプルと言っても無地じゃない!)なのが好き。


そして、こんな冗談みたいのも好き。



これ、半巾帯です。
そのうち着たら写真撮るね!
乞うご期待。




わたしの中のつぶつぶを動かす

昨日、自分の立場云々という話を書きましたが、立場というと大げさかもしれません。
ひらたくいえば、いつもリーダーじゃないし、いつもパシリじゃないし、いつも平等じゃないし、いつも恋人じゃないし、てなことでしょうか。
それぞれを切り出して、そこだけにわぁわぁ言われても、他のあたしを知らない人にはどうしようもない。
そんな一つ一つの粒から、私はできています。

私という形の袋にいろんな色や形のつぶぶがはいってて、そのつぶつぶがいつも動いているから、私はいろんなふうに見えています。
その動きが止まることはないので、今日の私と明日の私は違っているはず。

旅で拾った光の玉をいれたので、そろそろいらないかなと思っていた角張った重い石を投げ捨てた。
大切だと思っていた花びらをいつのまにかなくしてしまった。

些細な動きはどこからやってくる?
それは奥底にある自分のエンジン。
細かいアクセルワークをしながら前へ進んでいく、それが生きることだと思うのです。

たまに道を間違えたりもします。そしたら、地図をみてバックすればいいだけ。
自分で自分を動かしていくのは、爽快。
そのときの動力源によって、動くつぶつぶも異なるから、同じ日、同じときはやってきません。
それを嘆くなら、動かなければよいだけのことです。


雨の朝。
どのつぶつぶを動かそうかね。






自由の裏舞台

先日の旅日記をアップしたところ、古くからの知人(途中ブランクあり)からメールが来ました。

『なぜそんなに自由に出掛けられるの?』

これまた深いところに石を投げてきますね。
どう答えたかはおいといて。

自由とはどういうことか。をしみじみと考えてみました。

口では勝手気ままなあたし~と言ってはいますが、さまざまな立場で要求されている事柄に対しては、相手のニーズを満たす努力はしているし、その内容について承認を得ているものだと自負しています。
そのうえで、自分の時間を旅に振り向けることは、そんなに難しいことではありません。

もちろん、家族としては「またかよ、しょーがねーなー」と思っているでしょうが、止めたところでどうにもならないし、止めたことでストレス(あるのか?)の矛先を向けられては堪らない、というのが本音でしょうね。

私の、家族に対するスタンスも同じです。
子どもたちは、中学から電車通学だったこともあって門限を設けたことはありません。高校卒業以後は、無断でなければ外泊もしています。(終電がなくなって、離れた駅まで迎えに行ったことは何度かある…(笑))
夫の登山も、遭難歴や突然発作を起こす持病はあっても、止めたことはありません。車で行くので、週末の買い物に不便だなぁ、あたしだって乗りたいのに…というのはありますが、駄目と言ったところで隠れて嘘ついて出るだけですから、それならちゃんと入山届の控えを置いていってもらったほうが安心です。

見えない部分で、きちんとリスクを考慮してセーフティネットをはっていく、それが自由の裏表だと思うのです。

そして。
これは誰にもあてはまることではありませんが、お出かけできないと感じる理由はふたつあると思います。

ひとつめ。
自分は出かけてはいけない、出かけられる条件が揃っていない、という思い込み。

ふたつめ。
意識してなくても、自分が相手を縛っているために、自分も相手から縛られている場合。

わたしは早くにそれを手放しちゃった。
そのかわり、自律と自立を求められます。絶対にひとさまのせいにできない。

何かのせいにすることは、実は楽チンです。
たとえば。
自分を変える必要はないし、悪者は外にいるし、気の毒ねぇとやさしくしてくれる人もいる。

えらそうに書いてますが、こんなことをきちんと言語化できるようになったのは、そんなに大昔ではありません。
やっぱり人生長いことやってきたからこそなので、うーん、あたしも大人になったわね、と思うのです。

そんな大人は、まだ脳内で、関のお祭りの鈴鹿馬子唄をエンドレス再生しています。



石垣屋の浴衣美人衆。
夏は浴衣よね!

夏の三連休は石垣屋

というわけで、祭り参加のために選んだお宿、石垣屋さん。




ちっとばかしお目汚しですみません。
2日間この浴衣で曳き綱ひかせていただきました。

旅人宿 石垣屋

関宿のまちなみのほぼど真ん中に、石垣屋さんはあります。元は肥料商だったおうちを改装して、お宿を営んでおられます。

旅を始めた若い頃、デフォはユースホステル利用、たまに民宿利用だったので、男女別相部屋にはまったく抵抗ありません。
また常連さんの多い宿でも特に困らない特性(ざしきわらし)を持っているので、おそらく今回ほとんどが馴染みのかたであっても、なんにも心配はしていませんでした。

上記ホームページの写真からわかるように、古民家の開放的な空間ですごすのは、きっと気持ちいいだろうなぁ、とわくわくしながら訪ねました。

到着すると、諸事情で主さんご夫妻は不在で、旅人さんたちが迎えてくれました。
チェックインできないので、まずは会津屋さんで昼食のおそばを!



駅から10分ほどではありますが、荷物持って歩いてくると暑くてたまらんので、冷たいおそば。

戻って手続きして、お部屋に荷物を置いて、浴衣に着替えるまで探検探検。



こちらは茶室。
ここも宿泊室になっています。今回は(いつも、かな?)男子部屋。


そして、看板犬のゆりこさん



おとなしくて、まあるい目がとてもキュートなわんこです。

そして、祭りめがけてのたくさんの旅人さん。
チェックインのときに聞いてみたら、やっぱり最年長っぽく(笑)、まあそうだよね、と思いました。

こちらは素泊まり宿なのですが、お祭りのときは、山車曳く前にみんなでお弁当食べたり、終わったら宴があったり、朝昼は宿にいるメンバーでご飯作って割り勘にしたり、と、とても自由です。
男性陣のつくるご飯、とても美味しくいただきました。

相部屋の女性もたくさんで、顔は覚えたけど名前までは覚えられなかった!(衰えたな。昔は40人くらい一発だったのに。)
寝る前には、ロングヘアーのみなさんに簪一本で髪をまとめるのをお教えしてしまったり、あたしったら(笑)。

二晩とも宴会ありましたが、さすがに40名余りもの旅人さん全員とはお話できず。
でも、ゆっくりとお話できて、とてもよい時間を過ごせました。

祭りの明けた今朝の石垣屋風景。



町会からお借りした法被。
これだけ並ぶと壮観です。
できるだけ浴衣か法被を着てね、ということで、実は地下足袋も持っていってたので法被も着たいと思ってたのですが、着たら後先考えずに舞台廻しに参加してしまいかねないので、やめときました。

お天気がよく、今日は川遊び行くよ~というので、行きたい気持ちはやまやまだったのですが、指定とって帰りたいのと、明日以降出てくるはずの筋肉痛を考えると、未練なくさっさと旅立つに限ると思い、みんなが朝ごはん食べ始める前に出発しました。

イベントのときの満員かつわちゃわちゃな石垣屋さん、とても楽しかった。
次にお世話になるときは、イベントじゃないときにまったりと、関のまちを楽しみながら、山石さんの定食やアールグレイさんの紅茶をいただけるような、リゾートライフ?を送りたいなぁ。

あ、あと、夏に来たら、今回食べられなかった関の戸アイス和三盆ぶっかけを。
(ものすごい心残り。号泣。)


最後に、志ら玉氷を。
おやつにいただいて、元気に山車曳き出動できました!



たくやさん、あんじょうさん、でっちさん、旅人のみなさん
お世話になりました。
またお世話してください。

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夏の三連休は関の祇園祭

祇園祭といっても、京都でなく、三重県です。

たまねぎ的三大夜祭りのひとつである関宿の祇園祭に行ってきました。

いままで何度かこのお祭りは見たことがあります。
東海道の宿場であった面影を残しているまちなみを、ろうそくを灯した提灯で飾り付けた山車(やま、と読みます。)が練り歩く、壮大なお祭りです。
いつか、その山車を曳いてみたいと思っていたのです。

もうひとつ。
関宿のまんなかに石垣屋というお宿があります。古民家を改装して泊まれるようにした、いわば現代版旅籠。こちらにも泊まってみたいなぁと。

そのふたつを満たすことができる千載一遇のチャンスがきました。
石垣屋さんにお泊まりすれば、祭りに参加できて、山車が曳けるというのです。
これを逃しちゃいかーん!と、blogでの告知を見てすぐに連絡をとってみました。

家主さん「えーとね、まだ予約はうけてないんですよねー。で、何泊しますか?」
あれ?その話の展開はおかしくないか?
いや、そこは突っ込まないでおこう。
わたし「はい、もちろん祭り中の連泊でお願いしまーす。」
というわけであっさり予約成立。
断られたらたぶんぎりぎりまで迷ったあげく、再度連絡して断られていたと思う(行ってみたらたぶんそうなるだろうという状況だった。)ので、とてもラッキーでした。

亀山市指定有形民俗文化財である関の曳山については、

関の祇園祭

↑こちらをごらんください。
今年のポスターです。



石垣屋は三番町の町会なので、こちらの山車を曳きます。



関神社の鳥居前に4台揃い踏み。
ちょっと見切れ気味ですがご容赦ください。



左から、三番町、木崎町、四番町、大裏です。
それぞれ、山車の形も、提灯のデザインも異なります。

夕方から夜にかけてまちなかを練り歩き、要所要所で舞台廻しを行います。
山車の上半分が回る仕掛けになっているので、もちろん人力でまわすのですが、これがほんとに迫力あります。

日が暮れる頃、提灯に灯入れして、祭りは最高潮へ。



まちの西側の少し広いスペースで、4台が一斉に舞台廻しをするところは、迫力満点であるとともに、とても幻想的な光景です。
それはきっと、提灯が電球でなく、ゆらぐろうそくの炎であることも関係してるような気がします。
灯りの強さが均一でなく、ときどき消えてしまったり、提灯が燃えてしまったりして、そこも祭りの一部。

お祭りは土日の2日間です。
残念ながら2日めはあまり天候がよくなく、山車は出たものの、途中で提灯をはずしたり、巡行のコースを短縮したりになりましたが、無事に山車を蔵に納めることができました。

途中、曳き綱の列のなかで、町会のおじちゃんにいろいろなお話を伺いました。お祭りの歴史や、伝承、次の世代への送りのこと、途切れそうになった甚句を復活させたことなど。
なによりも、300年という長い歴史の祭りでありながら、石垣屋に泊まってるいわばよそもんをあたたかく迎え入れてくださる懐の深さを、とてもありがたく思いました。

三番町山車の横幕



三番町山車の見送幕



木崎町山車の提灯


ふつうの桐の紋は五三なんだけど、ここのは五七。
神社に縁起が書いてあったはずですが、読んでくるの忘れました。

初日曳いた翌朝になってしまいましたが、地蔵院、福蔵寺、関神社にお詣りもして、まちをまるごと堪能しました。

また来年も行けたらいいな。
毎年行けたらいいな。
それは、石垣屋さんが楽しかったこともあるけど、祭りに取り組んでる皆さんのお話を聞いて、ほんの少しでも祭りの継承に役立つのならお手伝いできればと思うからです。
どうかこの素晴らしい祭りがずっと続きますように。





記録(7/13)

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螺旋のしあわせ

昨日は二つの螺旋が手元にやってきました。



布は、浴衣です。
5月初めに結城の奥順さんで染めてきて、アバンギャルド和裁士伊藤竜太さんに仕立てていただきました。
着て撮らなきゃわからないのですが、全体的に『床屋のぐるぐる風(りゅーた氏談)』で柄合わせしてもらいました。
色が私にしては落ち着いておりますが、こんなのもあっていいかな、とおとなしめのを染め上げたつもりです。
昨年のもの同様、結城に里帰りさせてやりたいと思ってます。

もうひとつは、大切なお友だちが作ってくださったお守りチャーム。
石にも強いメッセージとパワーがありますが、赤と緑の補色で編み上げられた螺旋にとても心をつかまれました。
掌にのせると、お友だちの優しい心遣いと私のゆるゆると回る想いが、くるりと絡み合うのを感じることができます。

螺旋は、ここ数年の自分のテーマでもあります。
ひとつところにとどまらない。
だけど自分の芯をきちんと持っていれば遠くに離れていかない。
高みをめざせば、その形は螺旋になります。
それをきちんと言葉であらわしたことはほとんどありませんが、お二人には通じていたのかなぁと思います。

暑くて、少々過ごしにくい季節になったけれど、こうして自分のかたちを確かめることができると、とても爽快です。


もうひとつ。
螺旋じゃないけどめっちゃかわいいフォルムを。




こちらも、お友だちからいただきました。
オオサンショウウオのハンザキくん、めがねケースです。
目と手足がちっこくてぷにぷにしてて、この世のものとは思えない愛らしさです。
かわいいー欲しいーと絶叫したら、うちに来てくれました。

ありがとうございます。

まわりにいてくださるみなさんのあたたかいお心に、深く感謝する毎日。
そうか、これが螺旋であり、曼荼羅なのかな。

折しも今宵は瞑想会。
どこへ意識をフォーカスできるのか、楽しみです。

どれほどバカにされても

今回の選挙期間中、リアルで久しぶりに話をした人がけっこういる。
私にしては珍しいこと。

電話きらい、喫茶店は一人が好き、手紙って翌日着くのかな、多摩地区に本人来るのはJRか……
そんなやつにとって、電話をかけること、会う約束をすること、はなかなか骨の折れるシゴトでもある。


誰が誰に投票しようともかまわない。
でも、テレビで見て顔を知ってるから、とか、だれかに頼まれたから、とか、そんな理由で選ばないでね。

選挙広報読んでる?
とても大事よ、だって直接話を聞くことできないんだもん。

そんな話を何度も繰り返した。


そこから、突っ込んだ話ができたのは、半分もいないけど、だからこそ現実を感じた。
無風だと。どれほどエモーショナルな空間が駅前にできていようとも、現実世界に風は吹いていない。

露骨に、最初から負け戦挑むのはバカだ、と笑った人もいたし、今勝ち抜ければ知ったこっちゃない、という態度の人もいた。
こちらの話を聞く気のないひと、口を開かせないひと、そんな人もいた。

あれ?私が知ってるこの人、こんなじゃないってこともあった。


結果。
私から去ることはなくても、向こうが去る、はあった。
初めから、この行動は踏み絵になるんだろうなぁと思っていたので驚きはしなかったけれど。

まわりのひとがまた入れ替わるのかもしれない。
そういう暗示は6月7月たくさんあった。




青い実が赤く実っていくように。
日々成長していこう。
話をすることは、赤くなるための養分。

まずは、電話嫌いをやめろ←あたし。
(特定の人以外でも電話で話しろてばよ。)

静かな日々

先週の金曜夜から今まで。
たぶんテレビがついていたのは、平日朝、出勤前に天気と交通情報を確認するための15分くらい。
それ以外にスイッチオンすることはなく、窓を開けていると、雨の音、行きすぎる車のエンジン音、鶯の囀ずり、遠くを行く電車の音、哀しく響く救急車のサイレン。
様々な音が、静かに部屋に流れ込んでくる。

そして、とても久しぶりに刺繍をしてみた。



誰でもできるクロスステッチで、小さい織り目のマスを埋めていく作業は、心を鎮めるのにいいな、と思う。

別に昂ってるわけではないし、イラチになってるわけでもない。
ただ、深いところに小さく丸くなっていたいだけ。

あたしの本質をみるために。
あたしの本心を感じるために。

昔は、編み物とか刺繍、好きだった。
子育ての途中から、あんまり集中できなくなり、最近は半衿つけたり解れた古着の着物を繕うだけがやっとだった。
のに、唐突にクロスステッチしたくなってこのキットを買ってしまったのは3年くらい前。
しまいこんであったけれど、ようやく引っ張り出して、チクチクさしてみたら、やっぱり楽しい。
楽しいんだけど…老眼になってるのもはっきりわかって、ちょっと寂しい。

次はもう少し目の大きい生地でやろう。
何作ろうかな。





毒と薬

心のうちを文字や音声で形にするとき、ベクトルをどっちに向けるか。

昨晩参加したお話会、まさにそんなかんじだった。

あたしは、彼の文章が好きだ。
それで、ブログやTwitterを読んでいる。
主にTwitterでの140字にそのときの彼の本音が出ていて、ブログはそれらの隙間を埋めているのかな、と感じていた。

なんであれ、人目に触れる形で言葉を綴ることは、それ自体が本人にとって毒であり薬でもあると思う。
そのことを昨晩彼は、さらっと語っていて、その一言を聴けたので来てよかったな、と思えた。



あたしはどうだろう。
行動記録主体のこのブログは、自分の生きてきた記念アルバムでもあるし、死んで家族が見つけたらたまに遺言も入ってる。
そして、ときどきこうして、心のうちをぼそっと吐いて自分を振り返ったりする。
やっぱり毒であり薬でもあり。


他人からの評価はどうでもいい。
自分が自分をどう思い、どう裁くか。

ここへ来るまでに繰り返した、数えきれない文字化。

まだ終わらない。
ずっと終わらない。

最後が毒でありますように。





たまには新ワザインプット

週末着物があたりまえになってきて、このカテゴリの記事が全然増えません。
普及活動しなくても、まわりに着てる人いっぱいいるじゃん、と思っちゃって。

んですが、あまりに楽に着ることに慣れすぎて、最近、ちょっとだらしなくなってるような気が…。

そんな先月、ちょうど、日本和装からダイレクトメールが来ました。
実は、最初に着付けを習ったの、日本和装なんです。
そのときの先生=佐恵先生が、職場近くの夜間教室を担当なさってるとわかったので、早速メールでお問い合わせしてみたら、おいでー!とのことで申し込み完了。

その教室のタイトルがすごい(笑)。



THE LAST KAMI KITSUKE ときましたよ。
衿コースは5歳若くみえ、帯コースは5センチ脚長にみえるんだそうです。
日程の都合で帯コース受講することになりました。
その他、2年ほど前から『超・着付け』ってのもあって、こちらは何度か申し込んでみたけどいつも開講されず、謎のままだったのです。今回は皆勤賞でこの超・着付けのDVDくれるそうだし、佐恵先生にたずねたら、それもやるよ、ってことでした。

さて、どんなすんごい着付けマジック教われるんだろ、とどきどきしながら行くと。

表れたのは新しいお道具でした(笑)。
お道具というと語弊があるね。
コーリンベルトニューロングタイプとでもいいましょうか。
見た瞬間、使い方はわかりました。
なるほど、これもありだわね。

やはり、結び目がない、というのはかなりウリになるのですね。
前結び教わった学院もそうだし。
(ちなみに、わたしはこの前結びのお免状持ってます。こちらは、なんちゃってというわけにいかないので、きちんとお月謝いただくことになります。)

それと、お太鼓はいろんなやり方があるのですが、クリップを使って帯を傷めにくい方法を教えていただけました。
刺繍、箔のはいった帯は、結んだりねじったりすると傷むので、このやり方はすぐに役にたちそうです。

5回プラス問題×話題のセミナーで、全6回。もうすでに2回終わりました。
さあ、セミナーでわたしはどんな目に遭うのか!乞うご期待。


いやーしかし、普段着だと袋帯結ぶことないからなぁ。
すっかり忘れそうになってる。
いい機会になりました。

癒されて、そして新月

わたしのまわりには、とてつもない力を持ったひとがたくさんいます。
昨日と今日は、そんなひとたちからたくさんのものを受けとりました。

昨晩。
ふだんはサロンでケアを受けてるのですが、今回遠隔ヒーリングを体験できる企画があり、乗っかってみました。
自宅とサロン、たぶん20キロくらい離れていると思います。
電話で現在の状況をお伝えし、そこからはエネルギーワーク。
少し、体にもふれてもらい、さらにキーワードをルーンで。
わたしに与えられたルーンは、深いところにあるそのものを受け入れなさい、という、まさに今必要なメッセージでした。

朝、みつけたブログをシェアするときに、自分がつけたコメント。

『わたしはこうなんだ、あなたは?
そこから始まるあれこれは、生きていくときの楽しみでもあり悲しみでもあり、何がどうなっても…宝であると思うのだ。』

ルーンからのとほぼ同じ言葉を、先に自分で紡いでいたのは、たぶん偶然ではないはず。

体も心もきちんと癒されることの心地よさは、いちど味わったらなかなかやめられないですね。

そして、きれいになった今宵は、月からきた姫の新月ワーク。
なんと、不思議な月月月のコラボレーションに加え、ミスティックレクタングルの夜という、超絶パワフルな夜となりました。



見えない月のパワーを感じながら、叶えたい自分の姿を思い描きます。
前の晩に具体的なメッセージ受け取っているから、なにも難しいことはなく。
するすると願いの文を綴ります。

そのあとは、みんなでわいわいと四方山話をして、雨上がりの夜風を楽しみました。

あたしはここ。
そして、あなたにここにいてほしい。
その姿を思い描くことが、生きていく力の源。


染め物天国

春に、奄美大島でご指導いただいた晴恵先生の教室にお邪魔しました。

今回は、明日葉染め。
お庭に生えてるやつを朝摘みしてきてくださいました。

まずは、葉っぱをぐつぐつと煮込むところから。

 

染め物と大鍋は、切っても切れない間柄です。



藍染めもできるよう、準備してくださいました。元気な藍なので、ぶくぶく。



藍染めは、藍瓶、じゃなくて藍ボウルどぼんと浸けるだけですが、明日葉は煮出した色素液に材料を入れて、さらに煮込みます。

煮込むんじゃなくて、沸騰したら火を止めるので、煮物に味を含ませるようなかんじかしらん。

1回目のようす。



このあと銅媒染して、さらに濃縮された染液で染めていきます。

2回目。



一段と色が濃くなっているのがおわかりでしょうか。
明日葉の茎を折ると、こんな色の汁がしみだしてきますよね。
とても鮮やかで、それでいて押しつけがましくない黄色だな、と感じました。

それでも、昨日は少し弱気になってたんでしょうね、この黄色単体で身にまとうのは勇気がいるな、と感じました。
藍があってよかったなぁ、と。

明日葉の黄色を残しつつ、藍を加えていくので、いろいろ絞り作業をしてみました。
板締め、三つ編みランダムなどなど、自由に。



結果。



こんなかんじに染め上がりました。

持ち帰って、日にあてないように夜干しして、夜明けに取り込み、さきほどアイロンかけて仕上げました。




白Tシャツはデザインがはいってるのになんだか下着みたいだったのですが、これですっかり生まれ変わりました。
ピンクのコットンストールも、同じようなのがあったので、藍を入れて、爽やかなイメージに。

その他は、白い生地からの染めで、大判の風呂敷、帯揚げ、シルクバンダナ、ミニバッグです。

染め物は、単色で染めるのも楽しいのですが、絞りをして、どうなるかわかんないのはもっと楽しいです。
あちゃーとなることもありますが、それはそのときのわたしの揺らぎが具象化されたようなものなので、愛い奴よのう、と思います。


やってみたいなーと思われたかた。
次、一緒にやろうね。

永遠の○○小僧

昨晩は、初の。
ミッドタウン内のビルボード東京に行ってきました。

鈴木茂とハックルバックwith吉田美奈子



友人が、わたしの吉田美奈子好きを知っていて誘ってくれました。
えーと、友人家族ほどじゃないけど、わたしも鈴木茂好きよ。
あの時代に大活躍していたミュージシャン、今でもやっぱり聴けば心騒ぎます。

今回のどのメンバーも、ずうううっとスタイルを変えずに爆進してきた人たち。
途中、追悼佐藤博コーナーもあったりして、涙ぐんでしまいましたよ。

生きてきて、一度、自分の琴線に触れたものは、生涯忘れることがなくて、そこに再会するたびにまた心震えるんだなぁ、としみじみ思いました。



永遠のギター小僧、とか、永遠のピアノバカ、とか、永遠の歌姫、とか、
昨晩の夢の中ではそんなフレーズが右往左往していました。
わたしの頭の中では、それらは素敵な称号なんです。

わたしもそんな生き方したかったな。
もう残りのほうが少ないのに、ここまでぶれぶれで、この先もぶれぶれだから、さしずめ《永遠のぶれぶれたまねぎ》?

ずっとぶれっぱなしってのもいいかもしれない。

着物を着て、音楽にひたる暮らしが理想かな。

『政治の話をしよう』

ってわざわざ言わなきゃならないのが変だ。

音楽の話をしよう。
ファッションの話をしよう。
教育の話をしよう。
サッカーの話をしよう。
旅の話をしよう。
恋バナしよう。
政治の話をしよう。

どこが違う?

好みや持論やひいきや批判や、
どれもあってあたりまえ。
主義主張の違う人と仲違いする必要もないし、
むしろそんな人に会えたら、もっと話を聞きたいと思う。

なぜ、『政治』だけそうならないかな。


この先は、わたしが勝手に思いついたことなんだけどね。
政治をタブーにしちゃったのは、労組、な気がする。

学生の頃は、政治や行政のこと、話すこともあったし、身近な選挙事務所の手伝いをしたこともあった。
社会人になってから、それがなくなった。
もちろん職場で政治活動しちゃいけない。でも、住んでるまちの未来図や国会で審議されている新法案について話をすること、っていうのは、暮らしの一部だと思う。

労組とか○○会とか、ある程度の構成員数が見込まれる集団は、どこかの党の支援をしていた。
そのために、政党がからむような話題をしにくかったな、と思うのだ。
動員とか、電話作戦とか、経験してるけど、いろんなことがあったわ。
「あなたもその人にいれるの?」と聞き返されて、「や、わたしは選挙区が違うので(笑)」と逃げたり。←その党と聞かれなくてよかったよ。

選挙権を得てすでに30余年。
行かなかったのは、不在者投票が今ほどカジュアルでなかった頃に遠隔地出張してた時だけだと記憶している。
(その頃は出張証明が必要だったはず。)


誰が誰を支持してもいい。
そして、そのことを日常のなかで気軽に話せたらいいな。
へえ、そうなんだ、それはどんな人?
どんな政策の人?
わたしはここがいい、悪い、と思うんだ。
disることもなく。
説得することもなく。
わたしはこうなんだ、あなたは?って。

昨日、選挙公報も届いた。
家族にはすでに不在者投票すませた者もいる。
幾人か街頭演説も聞いた。(都心勤務のメリットだ。)
支持したいと思っていた人や党が候補から消えたりもする。
あと9日。

レベルは低いかもしれないけど、わたしと政治の話をしませんか?






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たまねぎです。
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好きなものがたくさんあります。

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