夏至の後の新月瞑想会

じわりと暑さが包み込む土曜、前回の新月以来の瞑想会です。




夏至の日、各地で大雨や風などで、交通機関が乱れましたね。
2017年前半に起こったあれやこれやを思い起こしながら、せめてこの雨がいろいろ流してくれたらなぁ、と思っていました。
実際には、たいしたことは起きていないのですが、心の中はいつでも混沌としていて、道を失いそうになるといちばん底にいるものが手をのばして『こっち』と引っ張ってくれる、そんな毎日。

今回の瞑想会は、休息がテーマなので、底のものを休めてあげられるのかな?と思いました。

ゆらぐろうそくの灯りをまぶたの向こうに感じながら、息を整えて向き合っていきます。
天の光、地の塩。
つながる安定感。
行きたいところ。
会いたいひと。

途中、セージやラベンダー、ローズ、シナモン、と幾種類ものハーブを焚いて、香り高い煙に包まれると、その香りに結び付く記憶が、ぽこぽこっと浮かび上がってきます。
より強いのは、ラベンダーにまつわる記憶。ラベンダーそのものもですが、ラベンダー咲く地での思い出が、思い出せないくらい久しぶりに思い起こされました。

シナモンの香りは、紅茶にいれたときなどよりももっと甘さが強く、こんなにパワーあふれるとは知りませんでした。きっとこの香りも、この会の記憶と共に残るのだと思います。

光のエネルギーが自分のなかにチャージされて、いっぱいになっても降り注ぐ光は止まず、どんどんあふれだしていきます。
持ちきれなくて、飲み込めなくて、手のひらや耳(ここは、笑うとこじゃないよ!)から、どんどん吹き出して、もう止まらないので、そのままこっちに戻ってきました。

瞑想後は、恒例。
スイーツをいただきながらのカード引き。
OSHOカードです。



愚者のカード。
騙されても裏切られても信じることしかできない愚者。
目端の利く人でなく、あたしは愚者でいい、と思っています。
愚者を哀れんで助けたり力を貸してくれる人がきっといるから。


それとは反対に。

光があふれ始めた頃からずっと、『抱き締めて』という声が聞こえていました。
どこのだれだかわからないので、探しに行かなくちゃね、と言うと、魔女てぃあらさんはこともなげに、「向こうから来ると上が言っている」と。
では、待ってみようか。
必要ならばこの手を役立てて欲しいので。


魂の休息は、こんな風に与えてやらないといけないのだな、と今回は強く感じました。
底のものがまだ静かに眠っています。








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支える音

昨日は、例によって、米蔵にお籠りしてました。

しらべの蔵

相方のハモニカ吹きマッキーとの練習ですが、その前にちょっと、ピアノについて語りたい。

3回目にして、ようやく、というか、バッハをきちんと弾いてみての感想です。

ピアノそのものが大きくないこと、場所が蔵サイズで小さいことから、とてもやわらかで優しい音がしているのは実感していました。
今回、9月にある自分のピアノ発表会で弾くバッハの楽譜を持ち込みました。
平均律第1集の最後のプレリュード。
とても美しい曲で、第1集の中では好き三本指に数えています。
左手低音部が川のように流れる上に、アルトとソプラノが絡み合うような右手が乗っかっています。
この、右手を二声で弾き分けるのがなかなか難しくて、またも半べそ期に突入しているのですが、こちらのベヒシュタインで弾くと、指の意図がすっと鍵盤に伝わるのがわかりました。
あ、つたない僅かな違いを拾ってくれている!(出せませんが一応録音もしており、自宅で確認したのでたぶん勘違いではないと思います。)
ベヒシュタインの特徴に、音の立ち上がりが早いことと減衰が短いことがあげられるそうですが、わたしが弾くバッハは、まさにそれをいちばん要求しているのではないかな、と感じます。
それだけに、ぼろがまったく隠せないわけで、弾けば弾いただけ悲しみ(笑)も襲ってくるのですが、それはそれで修業の足りなさを形にして示されているわけで、明日への糧になる、はずです。

さて、マッキーとは、さらに時の経った11月にデュオデビュー(笑)をめざしているわけで、すでに何度もライブをこなしているマッキーとの差は歴然。
が、マッキーはプロとセッションしてるので、シロートたまねぎのつたなさにはじゅうぶんな理解があります。
そのうえで、ポップスだったり歌謡曲だったり、いわゆるブルースハープっぽくない曲を演奏する相方として選んでもらったので、ここは一発奮起して、気持ちよーく吹いてもらう伴奏でありたい。

今はまだ、合わせることと、レパートリーを増やすことで手一杯です。
そもそも昔から、譜面なしでカラオケ伴奏するときに2度と同じに弾けない、という瞬間的記憶消去傾向があるため、練習しても前回と同じにはならない(笑)。
コード譜で追っかけていくんでいいんだろうか、ちゃんとおたまじゃくしに落としこんだほうがいいんじゃなかろうか、と自問自答しながらの合わせです。

それでも、マッキーが好きな曲を楽しく気持ちよく吹いてくれたら、わたしも楽しいし気持ちいい。
誰もが知ってる聞いたことのある曲を演奏するのはけっこう冒険ではありますが、おそらく場の雰囲気とか一体感は作れるんじゃないかなぁと思っています。



90歳のピアノ。
年齢を感じさせない。




『おまけ』
ここから現実的に(笑)。
練習場として最高の環境なのですが、ちっと値上がりしまして…。
そうそう贅沢もできないねー、と。
しかし!練習パックにはあと3人入場可能!
あたしたちとワリカンで、ベヒシュタイン弾いてみたい、とか、あたしたちと唄ってみたい、とか、マッキーと会いたい、とか、たまねぎと連弾してみたい、とか、がっつりお受けします。
経費節減!



夏至の朝

昼がいちばん長い日。でも、記憶の中のこの日がお日さまさんさんだったというのはないように思います。

先日訪れた二見の浜では、夏至祭が行われたはず。夫婦岩の間から朝日がのぼるのを見ながら禊、という行事ですが、今朝はどんなお天気だったのかなぁ。

若かった頃は、暦とかお天気とかあんまり意識しないで生きていましたが、大人になるとなぜこんなに気になるのかなーと考えてみました。

私の場合。
お天気にフォーカスし始めたのは、子どもたちの行事がきっかけだったと思います。運動会や遠足、楽しみにしている行事が滞りなく実行されますように、といつも願っていました。
そのココロは?
お弁当何度も作るのいやだしー、延期とか中止になると子どもたち機嫌悪いしー、あたしも残念だしー。
(レベル低いですね、すみません。)

でも。そんなことがなくても、お天気を見ていると、ついでに暦にひかれるようになりました。
二十四節氣は、自然の動きを言語化したものでもあるし、自分の行動を区切る節目ともなります。
そのときそのときでやってることや感じてることがブレブレでも、コアさえしっかりしていれば、いたずらに流されることはないのだな、ということに思い至りました。

陽極まって陰に転じる朝。

迷うな。あたし。





ホイミべホイミベホマズン

昔なら紙に書いていた日記のかわりに、Facebookというツールを利用してるわけで、お出かけネタや美味しかった食べ物などをアップしています。
他、さらに個人的な想いなども追記してブログに残してあります。

でね、それを見ていると、「いつ休んでるの?」と思うんですって。
平日、フルタイムで働き、しかも郊外から新宿まで通勤していたら、土日ぐったりしない?って。
(そしてきっと、喉元まで来ていたに違いない、ご飯外食?という言葉(笑))

土日、条件さえ整えばおうちにいたいと思うのですが、これがなかなかね。
諸般の事情で、土日の家族在宅率が以前よりじわりと上がっているので、であったればわたしは、外に出ないと氣が休まらない。どうせ出るなら、買い物なんかじゃなくて、心の栄養が欲しいなと思うので、イベント行ったりお友だちに会ったりコンサートや美術館だったり美味しいご飯だったり。
そして、楽しかったな、面白かったな、と感じると、独り占めしてたら申し訳ない(笑)と思っちゃうので、ついつい報告してしまう、と。

て、話ながら、ハタと膝を打つ。

あのね?
あたし、ずーっと走り続けてるわけじゃないよ?

ちょっと走ったら、ちゃんと立ち止まって回復して、それからまた走ります。
たぶん回復力もそこそこあるけれど、どうしようもなくダメージ食らうまで走り続けたりしていません。
そして、再度走り出すときに、走り方変えたりユニホーム変えたりしているから、まるで変幻自在に見えてるのかも、と思いました。

過去、どれくらい過去か忘れましたが、お体を分析してもらったことがあって、こんな風に言われました。
『間違っても、マラソンとかトライアスロンとか、長時間同じことを続けるようなスポーツしないでね、向いてないから。』
解剖したわけじゃないので推測ですが、筋電図とか肺活量とかその他いろいろの測定値からすると、白い筋肉優勢なんだそうで…。

体がそんなふうにできてると、魂というか、中身もそれに合ってくるのか、それとも中身がそうなので体が合わせてくれるのか、タマゴとニワトリみたいなものですが、ど外れた組み合わせにはならないのかもしれません。

そして、ホイミ!くらいで回復できるうちにお休みして、次行こ次、っていうのがわたしの行動スタイルなんだな、と深ーく理解しました。

はたから見ていてヤバいよ!と感じたら、強制的に止めて、ベホイミかけてね。

というわけで。





蛍を見る夜(写真追加)

昨年に引き続き、今年も紅さんのご案内で、高尾山の蛍を見に行ってきました。

京王線沿線のかたは、ポスターでご覧になってるかもしれません。高尾には蛍が自生、じゃないな、なんていうの?天然の蛍が飛ぶ水場があるのです。
場所は内緒。

夕方16時に集合。
でも、この時期いちばん日が長い。暮れるまでにはかなりの時間があります。
予報が雨だったこともあり、暗くなるまでの半分は庭園、後半は沢の自然を楽しみました。


高尾駒木野庭園

前回も前をとおってとても気になっていたところでしたので、天候の都合で急遽行けることになり、いちばん喜んだのはわたしかも。

美しくお手入れされたお庭と室内は、一瞬、タイムスリップしたような錯覚に陥ります。
広縁から眺める雨のお庭、心を落ち着けなくても、ふっと瞑想モードにはいれました。

玄関脇の池には、なんとモリアオガエル。



実は、最初に見つけたときはもう一匹いて、お取り込み中(笑)でした。
その奥には卵の泡もあり、順調に世代交代しているのがわかります。



水琴窟があったり、狸の掘った穴があったり、美しいだけでなくちょっと愉快なお庭でした。

 

1時間ほどのち、さらに奥へと歩を進めます。
よく整備された林道をとおっての沢歩き。(水の中ではありません、沢沿いの道歩きです。)
植物や水生生物を観察しながら歩くのは、ほんとうに楽しい。
自分もいきものである、ということを思い出させてくれます。目だけでなく、耳や鼻の感覚を使って、いきものの気配を感じとると、そこに生まれるわずかなコンタクトがとてもいとおしい。
虫だったり、鳥だったり、花だったり、水音だったり。
日常ではお目にかかれないものたちが、闖入者であるわたしたちを排除することなく、受け入れてくれてありがたいこと。

休憩して少し食べ物でお腹を黙らせ、いよいよ蛍を見に行きます。

川に沿って藪の道を行くと。

川面や葉隠れに、ぽぅっと浮かぶ黄色い小さいあかり。
ゆっくりと、点滅しています。
蛍だ!
(今回、見つけていちばんに声をあげたのはわたしでした、えっへん。)
はじめのうちは、じいっとしてその場で点滅しているだけですが、しばらくするとふわっと飛び始めます。
点滅しながら飛ぶので、軌跡を追っているつもりでも、思いがけないところまで移動していたり、見ていて飽きることがありません。

山ほど飛んでいるわけではないのですが、そのあたりに目をやるとぽうっと光る。移動するとまた別のがぽうっと光る。
そんなリズミカルな徒歩と点滅は、音楽で言うと、ウィスパー系のBossa のような。

そして、少し青みがかった黄色い光は、御霊さまを思わせます。
時々ぽろんと、目から何かがこぼれ落ちているのはわかっていました。

スマホでは蛍のあかりは撮れません。
これは、できたら実物で体験していただきたいです。


また来年ね。
来年会うのは次の世代の蛍たち。



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ゆる~く生きてます。
好きなものがたくさんあります。

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